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大阪地方裁判所 昭和48年(ワ)3815号 判決 1985年6月10日

原告

高澤喜美子

右訴訟代理人

松本健男

西川雅偉

被告

財団法人田附興風会

右代表者理事

田附政次郎

右訴訟代理人

前原仁幸

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、三三五五万五七一七円及び内金三二五五万五七一七円に対する昭和四八年一〇月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因及びこれに関連する原告の主張並びに被告の主張に対する原告の反論

1  当事者

(一) 原告は、昭和一一年一〇月三〇日生まれの女子で、同二七年三月中学校卒業後直ちに同年四月から住友電気工業株式会社大阪製作所(以下「訴外会社」という。)に入社し、それ以後同四六年五月まで同社で現場事務を担当して勤務していた者である。

(二) 被告は、大阪市北区西扇町三番地において医学研究所北野病院(以下「被告病院」という。)を経営している財団法人であり、被告病院は京都大学医学部附属病院(京大病院)と提携している総合的かつ専門的な医療機関である。

2  診療契約

被告は、昭和四六年五月二七日、原告との間で、左記本件疾患の治療を目的とする診療契約(準委任契約)を締結した。

3  原告の診療経過

(一) 原告は、昭和四五年四月末ころ、右眼球の異常感を覚え、また右眼球後部痛、右頭頂及び側頭部痛が出現したため、同年六月住友病院眼科で受診し、さらに、同年九月には右病院で右脳血管撮影を実施されて右頸動脈海綿静脈洞瘻である旨の診断を下されたが(なお、以下原告の疾患を「本件疾患」という。)、軽症であるために自然治癒が期待されたので、そのまま放置して経過を観察することになつた。原告は、右経過観察の間、その症状も軽快し、訴外会社への勤務も通常どおり続け、ただ一月に二回ずつ右病院に通院していた。当時の眼底圧検査測定結果によれば、右眼が二二ミリメートル、左眼が一五ミリメートルであり、右の差の七ミリメートルだけ右眼が突出していた。

(二) ところが、昭和四六年五月二二日に中等度の頭痛と右眼球痛が出現したため、住友病院眼科の塩崎医師に連絡したところ、右塩崎医師によつて、より高度の医療研究機関で綿密な診断を受ける目的で被告病院を紹介されたので、原告は、同月二七日、右目的にそつた診断を受けるために被告病院に入院した。

(三) 原告は、被告病院に入院するに際し、被告病院脳神経外科部長松本悟(以下「松本医師」という。)の一とおりの診断を受けたが、その後、松本医師の指導のもとで、同病院同科所属医師蝦名一夫(以下「蝦名医師」という。)が主治医として原告の診療を担当することになつた。

(四) 蝦名医師は、昭和四六年五月三一日、右側総頸動脈撮影を実施し、その結果海綿静脈洞が描出されたことから、直ちに右内頸動脈海綿静脈洞瘻(CCF)であるとの診断を下した。<以下、省略>

理由

一請求原因1(当事者)の(一)の事実のうち原告が女子であること、及び同(二)の事実は、当事者間に争いがなく、同1(一)の事実のうち右争いのない事実を除くその余の事実は、原告本人尋問の結果により成立を認める甲第四号証及び右本人尋問の結果によりこれを認めることができ右認定を覆すに足りる証拠はない。

二請求原因2(診療契約の締結)の事実は、当事者間に争いがない。

三そこで、まず、本件疾患の診療経過について検討する。

<証拠>に右の点につき被告が自白した事実を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告は、昭和四五年四月末ころ、右眼球の異常感を覚え、以後眼球後部痛、右頭頂、側頭部痛も出現し、これらの症状が約一か月間継続したために同年六月中旬ころ住友病院眼科で診断を受けた。同年七月になつて突然右眼瞼腫脹、眼球突出、頭痛、食欲不振の症状が出現したが、二、三日で消失した。同年九月住友病院眼科の塩崎医師は、原告に対し、右側頸動脈撮影(後記のとおり選択的内頸動脈撮影であるかどうかは不明である。)を実施し、右撮影の結果右内頸動脈海綿静脈洞瘻であるとの診断を下したが、自然治癒を期待し、しばらく放置して症状の経過を観察することにした。そこで、原告は、同年一一月一日から再び訴外会社に通勤し始め、その間右病院には月に二、三回の割合で通院していた。このころの原告の症状は、右眼球突出だけであり、当時の眼底圧検査結果によれば、右眼が二二ミリメートル、左眼が一五ミリメートルであり、右眼が七ミリメートルだけ突出していた。ところが、同四六年五月二二日に悪寒とともに三八度台の発熱(右悪寒と発熱は本件疾患とは直接関係はない。)、中等度の頭痛、右眼球痛が出現したため、原告は、前記塩崎医師の紹介で同年五月二七日被告病院に入院した。

2  原告は、被告病院入院後直ちに被告病院脳神経外科部長である松本医師の一通りの診断を受けた後、松本医師の指導下において、被告病院脳神経外科所属の蝦名医師に主治医としてその診断を受けることになつた。

3  蝦名医師は、昭和四六年五月三一日、原告に対し、右側総頸動脈撮影を実施し、その結果海綿静脈洞が描出されたことから、前記住友病院で下された右内頸動脈海綿静脈洞瘻という診断が正しいものと判断し、それ以上に選択的内外頸動脈撮影を実施したり、左右の総頸動脈撮影の結果について詳細に検討するなどして海綿静脈洞と交通している血管を確認することは行わなかつた。

4  そして、蝦名医師は、右内頸動脈の結紮(血管の血流を遮断する目的で、糸などを用いて血管を閉ざすこと)をした場合に、右内頸動脈が動脈血を供給している患側(右側)大脳半球に健側(左側)から血液が補給されるか否か(右側動脈と左側動脈を連結するウィリスのリングが機能するか否か)を確認する目的で、昭和四六年六月二日に左側総頸動脈撮影(右内頸動脈の血流を遮断しておいて左総頸動脈より造影剤を投入して健側(左側)から患側(右側)大脳半球への血流が存在するかどうかを検査するために行う脳血管撮影)を実施したが、失敗し、同月五日に再び実施したが、この撮影の結果も針を充分の血管(左側総頸動脈)の奥に進めることができず、末梢部分の造影が非常に悪いため循還動態を忠実に反映しないものしか得られなかつたので、同月二二日、再度実施した結果右内頸動脈を圧迫した状態で患側(右側)大脳半球に健側(左側)から血液が補給されることが確認された。また、蝦名医師は、同じく右内頸動脈を結紮した場合に神経脱落症状が生じないかを調べるために、マタステスト(右側頸動脈を頸部で圧迫し、それによつて、麻痺、知覚障害、言語障害、意識障害が生じないかどうかを検査すると同時に、健側より患側大脳半球への血流を促すために行う操作)を昭和四六年六月八日から合計一八回、延べ三六回(一回の所要時間は最初は一〇分間、徐々に時間を延長し、最後は五〇分間)も実施したが、原告の身体に著変はなく、麻痺等は発生しなかつた。なお、蝦名医師による右マタステストの実施回数は通常の場合より多く、慎重な手続を踏んだものである。

そこで、蝦名医師は、松本医師その他被告病院脳神経外科所属医師らと協議のうえ、同月二五日ころ、左側総頸動脈撮影の結果患側(右側)大脳半球に健側(左側)から血液が補給されることが判明したことやマタステストを繰り返しても著変がなかつたこと、また本件結紮術当時内頸動脈海綿静脈洞瘻は外科的処置を行うことが原則であり、特に本件疾患の場合は、既に住友病院眼科で一定期間経過観察期間を置き、その間一度症状が軽快したものが再燃したものであること、さらに内頸動脈海綿静脈洞瘻を放置した場合に最も悪くすれば死亡の結果をみることもあり、かつ眼球突出が増悪して外見上見苦しく患者にとつて非常に大きな精神的苦痛を与える可能性や血管雑音が増悪し患者を精神的に消耗させる可能性が大きいこと、そして右のうち特に原告が未婚の女性であるので、眼球突出が増悪して外見上見苦しくなる可能性が大きいこと、などの事情を重視して、本件結紮術を実施することに決定した。

5  本件結紮術直前の本件疾患の症状として、右眼球突出(昭和四六年五月二九日に実施された眼底圧検査結果によれば、右眼が二一ミリメートル、左眼が一四ミリメートルで、右眼が七ミリメートルだけ突出していた)、眼瞼浮腫がみられ、また右五月二九日の眼底所見によれば、乳頭が充血し、静脈が非常に怒張していた。右眼球突出の程度は、住友病院通院当時とそれほど変わりはなく、本件疾患の症状が急激に増悪する徴候は存在せず、緊急に手術を実施する必要は存在しなかつた。また、右五月二九日に実施された検査によれば、右眼の視力は一・〇左眼の視力は一・五であつた。なお、本件結紮術直前には、血管雑音、頭痛、眼痛、発熱は存在しなかつた。

6  蝦名医師は、昭和四六年六月二八日、原告に対し、本件結紮術を実施したが、その際もなお本件結紮術によつて片麻痺等が発生しないことを再度確認するために、本件結紮術を局所麻酔で行い、結紮を行う前に右内頸動脈を三〇分間血管鉗子ではさんでその血流を遮断し、それによつて意識障害、運動麻痺、知覚障害が発生しないか観察し、右意識障害等の症状が発生しないことを確認のうえ、結紮術を実証した。

以上のように、蝦名医師は、マタステストを繰り返し、本件結紮術も局所麻酔で行つたうえ、三〇分間血管鉗子で右内頸動脈の血流を遮断して意識障害等発生の有無を観察するなど、本件結紮術による片麻痺発生の可能性の確認について、非常に慎重な手順を踏んだものである。

ところで、蝦名医師は、左側総頸動脈撮影、マタステストを実施する際に、原告に対し、本件結紮術によつて片麻痺が発生するといけないから、右撮影、テストを実施するものである旨の説明をし、かつ本件結紮術を局所麻痺で行い、結紮を行う前に、三〇分間血管鉗子で右内頸動脈をはさんで血流を遮断し、それによつて意識障害等が発生しないかを観察するにあたつても、本件結紮術実施の結果片麻痺が発生するか否かを確認するために右の手順を踏むものである旨の説明を行つた。左側総頸動脈撮影やマタステストを繰り返し実施すること、本件結紮術にあたつて局所麻酔使用の方法によることは、患者である原告に非常な苦痛を与えるので、右の手順を踏む理由を説明して協力を得ない限り、現実には不可能である。また原告は、蝦名医師が、本件結紮術実施の結果片麻痺が発生するかどうかを確認するために慎重な手続を踏んだことから、蝦名医師が本件結紮術実施の結果片麻痺が発生することを危惧していることが察知できた。

また、蝦名医師は、本件結紮術を実施するにあたり、原告に対し本件疾患及びその治療方法について説明したが、本件結紮術により麻痺の発生する可能性に関しては、昭和四六年六月三一日実施の左側総頸動脈撮影の結果により右内頸動脈を結紮しても患側(右側)の大脳半球に健側(左側)から血液が補給されることが確認されたこと、及びマタステストを繰り返し実施した結果原告の身体に著変がみられなかつたこと、蝦名医師自身においては外国の文献から右マタステスト等蝦名医師が行つた前記のような手順を踏んだうえで本件結紮術によつて麻痺が発生する可能性は二パーセント程度であると考えており、かつ蝦名医師が直接認識した限りでは内頸動脈結紮術を実施した結果麻痺等の術後合併症が発生した事例は見あたらなかつたことなどの事情から、右のような手続を踏んだうえで、本件結紮術を実施してもなお片麻痺が発生する危険性についてある程度の懸念を抱いてはいたものの、これをそれほど重視はせず、そのため、原告に対し、本件結紮術は一応心配はない手術であるという趣旨の説明は行つた。しかし、同時に、蝦名医師は、原告に対し、片麻痺発生率までは説明しなかつたものの、いかに脳血管撮影やマタステストを実施し、本件結紮術を局所麻酔で行い、結紮を行う前に、三〇分間血管鉗子で右内頸動脈をはさんでその血流を遮断して意識障害等が発生しないかどうかを確認する等の手順を踏んでも、なお本件結紮術実施の結果片麻痺が発生する可能性のあることは説明し、右説明したうえで原告から手術の承諾を得た。

本件結紮術は、絹糸を使用し、右内頸動脈を頸部の部位で七ミリメートルの間隔をあけて二か所を結紮する方法によつて実施した。

7  ところが、本件結紮術実施後、右結膜が浮腫状でその充血が増強し、翌六月二九日には、右眼瞼腫脹、右眼球結膜充血、眼球突出の増悪、右網膜静脈の怒張の増強等がみられ、本件疾患の症状は明らかに増悪した。また、右二九日の午後から頭痛、悪心、嘔吐等の頭蓋内圧亢進症状が出現したが、右眼球突出の程度は、本件結紮術実施前と変わらなかつた。

8  昭和四六年七月一日午前七時三〇分原告に突然左片麻痺(本件麻痺)が出現し、同時に原告は傾眠状態に陥り、右眼球の対光反射が鈍化した。蝦名医師は、松本医師と協議のうえ、内科的治療として、頭蓋内圧を減少させるために脳浮腫を減少させるマンニール剤を注射するなどした(なお、翌七月二日からは、血栓の発生を防止するために血栓が発生しにくい状態にするウロキナーゼを投与している。)が、全体的には原告の症状は好転しなかつた。そこで、蝦名医師及び松本医師は、本件結紮術実施の結果原告の症状が好転するどころか増悪したのは、結紮したこと自体によつて右大脳半球に血液が十分に供給されなくなつたか、または結紮したために結紮部位に血栓が生じ、それが栓塞した結果右大脳半球に血液が十分に供給されなくなつたか、のいずれかであることが考えられ、前者ならば、結紮を解除して血流を増加させることで症状の好転が得られる可能性があると判断し、前記七月一日、松本医師を術者、蝦名医師を補助者として結紮を解除する手術を実施した。しかし、右結紮の解除によつても、原告の症状の改善は認められず、昭和四六年七月八日に実施した右腋下動脈撮影の結果によれば、右結紮解除後も右内頸動脈が閉塞したままであることが確認され、右結紮の解除が何らの効果ももたらしていないことが明確になつた。

9  その後も、左片麻痺(本件麻痺)等の症状は継続し、意識レベルの低下が疑われたが、昭和四六年七月五日ころから、原告は、少し元気が回復し、生命の危機は脱するに至つた。しかし、同月一〇日には、右眼瞼腫脹、眼球突出が増悪し、結膜血管が拡張し、眼瞼結膜が浮腫状に腫脹した。すなわち、右眼球の局所所見は増悪した。蝦名医師らは、その後高圧酸素療法を実施したが、目立つた効果は上げていない。

10  そこで、蝦名医師は、中大脳動脈への血行の再開を目的とする浅側頭動脈と中大脳動脈の血管吻合術(内頸動脈の閉塞した領域に外頸動脈分枝をつなぐ手術)を行えば、少しでも症状が好転する可能性があるのではないかと考え、昭和四六年七月二七日、原告を右血管吻合術を受けさせる目的で天理病院へ転送した。天理病院の菊池医師は、同年八月二日右血管吻合術を実施したが、効果は全くなかつた。菊池医師は、右血管吻合術を実施する際に、血管吻合する前に右内頸動脈を頭蓋内で(海綿静脈洞より大脳側で)結紮したために、本件結紮術とあわせて海綿静脈洞の上下で右内頸動脈を結紮(これは、後記のとおりトラッピングと呼ばれる手術である。)したことになつた。

11  原告は、昭和四六年八月一八日、天理病院から被告病院に再び転送されてきたが、左片麻痺(本件麻痺)及び右眼の眼球突出は以前のまま存続し、また被告病院へ再転送後次第に右眼の視力が低下し、同月三〇日の眼科検査によると右眼の視力は〇・〇六にまで低下していることが判明した。

また、原告は、同年九月三〇日までは横臥した状態を継続していたが、同年一〇月からリハビリテーション室で訓練を受けるようになり、同月二〇日ころようやく壁をつたつて数歩程度歩行することが、同年一一月一五日ころには杖を持つて数歩程度歩行することが、同年一二月一〇日ころには杖なしで約一〇メートル程度歩行することが、翌四七年二月には杖なしで四メートル程度歩行することが、それぞれ可能になつたが、依然として左上肢の不全麻痺が強く、手関節の運動は完全麻痺であると診断された。右眼の視力は〇・〇二であり、右眼球の突出度は依然として六ミリメートルないし五・五ミリメートルであつた。

原告は、昭和四七年一〇月四日、被告病院を退院し、それ以後兵庫県リハビリセンター附属中央病院に転院して治療を続けたが、右病院で同四八年四月二八日、左半身麻痺による症状が固定したと診断されたので、同日退院し、以降現在まで自宅療養を続けている。しかし、その症状は改善されないままである。

以上の各事実が認められる。

被告は、本件結紮術直前の本件疾患の症状について血管雑音が存在した旨主張し、証人蝦名医師(第二回)の証言中には右主張に副うかのように解しえなくもない部分が存在するが、前記乙第一号証のA、Bによれば、診療録に血管雑音が存在した旨の記載はなく、むしろ診療録の昭和四六年五月三一日の欄付近に貼付されているニューロジックレコードにも血管雑音の指摘がなく、昭和四六年六月三日、一一日、二五日の各欄にも血管雑音が聴取できない旨記載されていることが認められるうえ、証人蝦名医師(第一回)の証言中にも、原告の症状は右眼球突出、右の眼瞼浮腫だけで血管雑音が存在しない旨供述している部分があり、これらによれば、本件結紮術直前には本件疾患の症状として血管雑音は存在しなかつたと推認できるから、証人蝦名医師(第二回)の証言中右被告の主張に副うかのようにも解される部分は措信しがたいというべきである。

一方、原告は、蝦名医師が、本件結紮術を実施するにあたり、原告及びその家族に本件結紮術は全く心配ないとの説明を行い、本件結紮術を実施した結果片麻痺が発生する危険性があることについて全く説明を行わなかつた旨主張し、証人高澤政弘、同高澤じゆん、原告本人の各供述中には右主張に副う部分が存在しているが、右各供述部分は、特に、前記認定のとおり、蝦名医師が本件結紮術を実施した結果片麻痺が発生する可能性があるかどうかを確認するために非常に慎重な手順を踏んでいること、マタステスト等蝦名医師の行つた手順を踏んでもなお片麻痺発生の可能性があることを認識し懸念していたことと、抵触するものであるし、またとりわけ原告本人の供述は、蝦名医師から脳血管撮影やマタステストという医学用語は聞いたことはあるが、それらを何のために行うのか等について全く説明を受けたことはない旨の供述部分など、不自然と解するほかない部分を含むものであつて、証人蝦名医師(第一、二回)の証言その他三の冒頭掲記の各証拠にも照らして措信しがたい。

四次に、本件疾患について検討する。

1  まず、内頸動脈海綿静脈洞瘻と外頸動脈海綿静脈洞瘻について一般的に検討する。

<証拠>及び鑑定人浅野孝雄の鑑定の結果によれば、以下の事実が認められる。

(一)  内頸動脈海綿静脈洞瘻とは、頭部外傷、動脈硬化症、脳動脈瘤破裂または不明の原因により内頸動脈が直接海綿静脈洞との間に異常交通(動静脈瘻)を形成した疾患である。その特徴は外傷性のもの(外傷性内頸動脈海綿静脈洞瘻)にみるように、拍動性眼球突出、眼窩周辺の血管雑音、結膜充血浮腫などである。内頸動脈海綿静脈洞瘻の外科的治療法は現時点でも確立したものがなく、①内頸動脈結紮術、②筋肉片等を内頸動脈を経由して瘻へ送り込み、右筋肉片等で瘻を閉鎖する方法(エンボリゼーション)、③瘻孔の前後で内頸動脈を結紮する方法(トラッピング)、④右②と③を併用する方法、⑤一時的心停止の下に海綿静脈洞を開いて外側から瘻を閉鎖する方法等が実施されてきたが、いずれの方法によつても、一〇〇パーセントの治癒率が得られるものではなく、症状の特徴に応じていずれかの方法を選択し、または段階的に手術を重ねていくのが一般的である。なお、現在は外科的療法としては内頸動脈結紮術を第一次的に選択しなくなつているが、本件結紮術当時は一般的に実施されていた。

(二)  外頸動脈海綿静脈洞瘻とは、外頸または内頸動脈の分枝が直接海綿静脈洞と交通するのではなく、いつたん周辺の硬膜血管網を介してから、海綿静脈洞と交通する疾患である。従つて、瘻孔は単一ではなく、外傷性内頸動脈海綿静脈洞瘻と違つて、瘻を通過する血液量も少ない。また、症状は一般的には軽度である。しかも半数近く(三〇ないし五〇パーセント)という非常に高い割合で自然治癒が認められるのが特徴とされている。その治療法は、未だ確立されてはいないが、現在は、第一次的には単なる経過観察を行い、症状の重篤なものに対してのみ外頸動脈結紮、エンボリゼーション等の手術的治療を行うのが一般的とされている。

外頸動脈海綿静脈洞瘻は、前記のとおり、内頸動脈分枝が関与している場合があるが、外頸動脈分枝と内頸動脈分枝は血管網を形成しているため、どちらが主として関与しているかを判断することはできても、どちらか一方だけが関与しているとまで判断することは非常に困難であり、これを確認するためには少なくとも選択的内外頸動脈撮影を実施しなければならない。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  そこで、本件疾患の具体的内容について判断する。

前記三で認定した事実に、<証拠>、鑑定人浅野孝雄の鑑定の結果を合わせると、以下の事実が認められる。

(一)  昭和四六年五月三一日に被告病院で実施された右側総頸動脈撮影の結果、海綿静脈洞が怒張し、それに交通する諸静脈への造影剤の逆流が認められることから、本件疾患が右内外頸動脈のいずれかまたはその双方から血流を受ける海綿静脈洞瘻であることは確実である。

(二)  また、右撮影の結果によると、海綿静脈洞への造影剤の流入は、外頸動脈分枝が描出された後に生じている。仮に内頸動脈が海綿静脈洞への主要な導入血管であるとすると、内頸動脈が描出されるや直ちに海綿静脈洞への造影剤の流入が見られるはずであるのに、右のとおり外頸動脈分枝が描出された後に流入が見られるということは、内頸動脈が海綿静脈洞への主要な導入血管ではなく、むしろ外頸動脈が主要な導入血管であることを示すものである。

(三)  本件疾患が、内頸動脈海綿静脈洞瘻であるとすれば、通常シャント量(海綿静脈洞への血液の流入量)が多いために、右側総頸動脈に圧迫を加えた状態で左側総頸動脈撮影を実施した結果から造影剤が前交通動脈を通じて海綿静脈洞へ流入するのが認められるはずであるが、昭和四六年六月二二日に被告病院で実施された左側総頸動脈撮影の結果からはそのような所見は得られなかつた。

(四)  本件疾患は、明らかな原因なしで突然発症しており、その発症形式はいわゆる特発性頸動脈海綿静脈洞瘻(頸動脈海綿静脈洞瘻のうち特に原因と考えられるものがなく突然に発症するものを特発性頸動脈海綿静脈洞瘻という。)と呼ばれるものにあたる。

(五)  本件疾患は血管雑音が欠如しており、症状が比較的軽く、また原告が中年女性であるなどの事情があるが、これらの事情は、本件疾患が外頸動脈海綿静脈洞瘻(硬膜動静脈瘻)である可能性のあることを示す。

(六)  本件結紮術直後から原告は右眼球結膜の充血、眼球突出、眼底静脈怒張等の症状が増悪した。このことは、海綿静脈洞への主要な導入血管が内頸動脈であるとすれば理解しえない現象であるが、主要な導入血管が外頸動脈であるとすれば、内頸動脈結紮により、外頸動脈への血液量が一過性に増大するから、右症状悪化を合理的に説明することができる。

(七)  本件結紮術後の昭和四六年七月八日に被告病院で実施された右腋下動脈撮影の結果によつて内頸動脈が閉塞したままであることが確認され、そのため右撮影は選択的外頸動脈撮影を実施したとの結局同じ結果となつているが、右撮影の結果によると外頸動脈分枝と海綿静脈洞とが交通していることにより明瞭に描出されている。

(八)  また、右撮影の結果によると頭蓋内静脈への造影剤の流入など海綿静脈洞へのシャント量の増加を示す所見があり、昭和四六年七月一〇日には右眼瞼浮腫、眼球突出が増悪し、結膜血管が拡張し、眼瞼結膜が浮腫状に腫脹するなど右眼球の症状増悪の局所所見がみられた。これらの現象は、本件疾患が外頸動脈海綿静脈洞瘻であるとすれば、それに対する原因的治療がなされていないので、十分ありうるものである。

(九)  外頸動脈海綿静脈洞瘻の中には、内頸動脈が部分的に関与しているものがあるが、本件疾患の場合選択的内頸動脈撮影が行われているかどうかが明らかでないので、内頸動脈が関与しているかどうかは明らかではない。

(一〇)  右(一)ないし(九)の事情を根拠に、浅野医師は、本件疾患は、外頸動脈海綿静脈洞瘻であるが、ただ内頸動脈が部分的に関与しているかどうかは明らかでないと判断した。

右認定事実によれば、本件疾患は、外頸動脈が海綿静脈洞への主要な導入血管となつており、外頸動脈海綿静脈洞瘻と判断すべきであること、しかし、内頸動脈が部分的に関与していないかどうかは明らかになつていないことが認められる。

もつとも、被告は、本件疾患が外頸動脈海綿静脈洞瘻であつたにしても、外頸動脈分枝から硬膜内血管網を介して海綿静脈洞と交通する血流が顕著である型とまでは鑑別診断することができるものの、それ以上に内頸動脈がその分枝あるいは派生する血管網を介してでも海綿静脈洞と交通していることはないとまではいえず、むしろ内頸動脈もある程度は右の形態で海綿静脈洞と交通していたとみなくてはならない旨主張し、その根拠として、①右(二)の点については、昭和四六年五月三一日実施の右側総頸動脈撮影の結果では造影剤の流入の先後関係を読影することができず、②右(三)の点については、昭和四六年六月二二日実施の左側総頸動脈撮影の結果からは造影剤がかすかに前交通動脈を通じて海綿静脈洞へ流入しているのが確認でき、③右(五)の点については、本件疾患には血管雑音が存在し、④右(七)の点については、昭和四六年七月八日実施の右腋下動脈撮影の結果によれば右椎骨動脈から眼底動脈、右後交通動脈を各経由して海綿静脈洞へ流入する血流の存在が観察され、これらの事実から右眼球の症状の増悪は右血流の存在が原因であると理解することもできるものであり、また、⑤右(四)、(五)の点はいずれも外頸動脈海綿静脈洞瘻に固有な症状ではなく、これによつて内頸動脈が海綿静脈洞と交通していたことを否定することはできないのであり、⑥仮に本件疾患には、内頸動脈から海綿静動脈洞への動脈血の流入が存在しないとすれば、右腋下動脈撮影の結果右後交通動脈からの動脈血はその全量が右大脳半球に回流していくことになり、右後交通動脈から海綿静脈洞へ動脈血が流入するのが認められないはずであるのにもかかわらず、実際には昭和四六年七月八日実施の右腋下動脈撮影の結果により、右椎骨動脈から脳底動脈、右後交通動脈を経由して海綿静脈洞へ流入する血流の存在が確認され、これは内頸動脈に瘻が存在するために右後交通動脈(血流高圧部分)から逆行的に右内頸動脈を経て海綿静脈洞(血流低圧部分)へ動脈血が流入していることを示すものと考えられ、このことから外頸動脈以外に内頸動脈も海綿静脈洞と交通していることが明らかになつており、⑦昭和四五年九月住友病院において実施された選択的内頸動脈撮影の結果においても内頸動脈海綿静脈洞瘻の存在が確認されている旨、各主張している。

しかし、被告の右①ないし⑦の主張は、次のとおりいずれも失当である。

まず、右①の主張については、証人蝦名一夫(第二回)の証言中に右主張に副う部分が存在するが、証人浅野孝雄の証言、鑑定人浅野孝雄の鑑定の結果によつて、昭和四六年五月三一日に実施された右側総頸動脈撮影の結果によると造影剤の先後関係を読影することができると認められるのに対照して措信することはできない。②の主張については、証人蝦名一夫(第二回)の証言中に右事実に副う部分が存在するが、証人浅野孝雄の証言、鑑定人浅野孝雄の鑑定の結果によつて、浅野医師は、鑑定人として、右昭和四六年六月二二日実施の左側総頸動脈撮影の撮影写真を検討した結果、造影剤の海綿静脈洞への流入が認められないと判断していることが認められ、かつ、前掲乙第一号証のA、Bによつて、蝦名医師自身も右撮影写真を検討した結果、海綿静脈洞は造影されない旨を診療録の昭和四六年六月二二日の欄に記載していることが認められ、これらをあわせて昭和四六年六月二二日実施の左側総頸動脈撮影の結果、造影剤の海綿静脈洞への流入は認められないといえるのと対照して措信することはできない。③の主張については、本件疾患には血管雑音は存在しなかつたことは、すでに認定したとおりである。次いで、④の主張については、そもそも右主張は、単に可能性を指摘するにすぎず、積極的に右眼球の症状増悪の原因が被告の主張する血流の存在にあるとまでいうものではなく、かつ右血流の存在に関してはなるほど、前掲乙第一号のA、Bによつて、唐沢医師が診療録の昭和四六年九月四日の欄の、それまでに実施された脳血管撮影についての注記部分に、昭和四六年七月八日実施の右腋下動脈撮影の結果から被告の主張の血流の存在が認められた旨記載していることが認められるが、証人浅野孝雄の証言、鑑定人浅野孝雄の鑑定の結果によれば、浅野医師は、右撮影写真を検討しながら、右血流の存在について鑑定書でも当裁判所での証言においても全く言及しておらず、浅野医師としては、右撮影写真を検討した結果、右血流の存在を否定する判断をしたものと推認されるところであり、これと対照して前記乙第一号証のAの唐沢医師の注釈部分によつて右血流の存在を認定するには十分でないというべきである。⑤の主張については、前記のとおり、当裁判所は、本件疾患が外頸動脈海綿静脈洞瘻であるとの認定判断を前記(一)ないし(一〇)の事情を総合してしているのであつて、右(四)、(五)は右認定判断のための一資料であるにすぎず、これのみによつて外頸動脈海綿静脈洞瘻との結論を導いたものではないから、被告が⑤で主張する理由によつて右結論を左右することはできない。被告の⑥の主張については、既にみたとおり、昭和四六年七月八日実施の右腋下動脈撮影の結果からは被告主張の血流の存在が認められないものである。さらに、⑦の主張については、なるほど、前掲乙第一号証のA、B、証人蝦名一夫(第二回)の証言、原告本人尋問の結果によれば、原告が昭和四五年九月住友病院で右側頸動脈撮影を実施されたこと、蝦名医師が、診療録の現症の欄に昭和四五年九月住友病院で右側頸動脈撮影施行と記載していること、唐沢医師も、診療録の前記昭和四六年九月四日の欄に、昭和四五年九月住友病院で選択的内頸動脈撮影が実施された旨、及び右撮影の結果頸動脈海綿静脈洞瘻が描出された旨記載し、これに加えてその撮影写真のスケッチを記載しており、また診療録の昭和四六年一一月一七日の欄の今までの検査結果について総括的注釈を付した部分に、選択的内頸動脈撮影の結果右内頸動脈海綿静脈洞瘻と判明した旨も記載していること、蝦名医師は、右撮影写真が被告病院に送付され、そこで蝦名医師自身が右撮影写真を見たところ、内頸動脈から海綿静脈洞への造影剤の流入が見られ、本件疾患が右内頸動脈海綿静脈洞瘻であることは間違いない旨判断したことが認められる。しかしながら、右撮影写真は、その写しすらも現存していないので、右撮影がはたして選択的内頸動脈撮影であつたものか、また仮に選択的内頸動脈撮影であつたとしても、右撮影の結果についての唐沢医師の注釈や蝦名医師の判断が正しいのかどうか、現時点では客観的に確認することはできないし、前記(一)ないし(一〇)の事情と合わせて考えれば、本件疾患は外頸動脈が海綿静脈洞への主要な導入血管となつており、外頸動脈海綿静脈洞瘻と判断すべきであり、ただ外頸動脈海綿静脈洞瘻には内頸動脈が部分的に関与しているところがあり、本件疾患も右の意味で内頸動脈が部分的にも関与していないとまで断定することはできないというべきであり、仮に住友病院で選択的内頸動脈撮影が行われ、その結果内頸動脈から海綿静脈洞への造影剤の流入が認められることが事実であつたとしても、単に右の意味で内頸動脈が部分的に関与していることを示すにすぎないと考えられ、いずれにしても本件疾患が外頸動脈が海綿静脈洞への主要な導入血管となつており、外頸動脈海綿静脈洞瘻と判断すべきであることを否定するには足りないというべきである。

五次に、本件麻痺及び本件失明の原因について検討する。

1  まず本件麻痺の原因について検討する。

前記三、四で認定した事実に、<証拠>鑑定人浅野孝雄の鑑定の結果を合わせれば、以下のとおり認定判断することができる。

(一)  本件麻痺の発生原因は、右大脳半球に血液を供給する血流循還の障害であり、これは、一応本件結紮術による右内頸動脈の結紮のため、右大脳半球に対する血液の供給が十分でなくなり(虚血症状)、それが次第に本件麻痺にまで発展したものか、あるいは、本件結紮術による右内頸動脈結紮により、結紮部位より末梢部分の血液の流れが緩徐になり、そこに血栓が生じやすい状態になつているため、右結紮部位より末梢部分に血栓が発生して血管のどこかで閉塞が生じたことにより、それより末梢の右大脳半球に血液が供給されなくなつて、突然本件麻痺が発生したものか、のいずれかである。もともと、内頸動脈結紮術は結紮した結果瘻孔が血栓によつて閉塞されることを理想的状態として期待するものであり、きわめて血栓が発生しやすい状態を生じさせているのである。なお、血栓が発生した場合には、血栓が飛んで、血栓の発生場所とは別の場所で栓塞する可能性が十分である。

(二)  昭和四六年七月八日被告病院で実施された右腋下動脈撮影の結果によると、前大脳動脈や内頸動脈の領域が造影されているが中大脳動脈は造影されておらず、右撮影時点で右内頸動脈(末梢部分を含めて考える。)が閉塞されたままであることが確認された。なお、右撮影の結果からは、右内頸動脈が閉塞していることしか判明せず、閉塞している箇所は、内頸動脈の起始部から内頸動脈の頭蓋内腔の前大脳動脈と中大脳動脈の分岐部に近い部分のどこかであるという程度しかわからない。

(三)  本件疾患については、本件麻痺発生後の昭和四六年七月一日に本件結紮を解除しているのであるから、もし本件麻痺が単に虚血による症状であり、血栓が発生していないとすれば、右結紮の解除により右内頸動脈の血流の再開通が生じなければならないにもかかわらず、右(二)のとおり、右結紮解除後の脳血管撮影の結果から右内頸動脈が閉塞したままであり、血流が再開していないことが確認されており、従つて、本件結紮術による右内頸動脈の結紮の結果血栓が形成されて、右内頸動脈が閉塞していることは確実であり、本件麻痺は、血栓が形成されて右内頸動脈(末梢部分を含めて考える。)が閉塞したことを原因として生じたものである。

(四)  右閉塞箇所について、菊池医師が、浅側頸動脈と中大脳動脈の血管吻合術を実施した際に、脳血管撮影の結果により中大脳動脈のM1の部位(中大脳動脈が内頸動脈から分岐したところから数えて最初の節をM1の部位という。)が狭窄しているが、栓塞はしていないことを確認した。ただ、脳栓塞症(脳へ流入する血管に血栓が飛んで、飛んだ箇所で閉塞する症状)の場合は、いつたん栓塞が発生しても、時間の経過とともに血流の自然再開通が生じることが比較的多いことが確認されているので、菊池医師が右血管吻合術を実施した際に中大脳動脈のM1の部位が栓塞していないことを確認したとしても、本件麻痺発生時に中大脳動脈のM1の部位が栓塞していないことを示すことには必ずしもならない。また、松本医師及び浅野医師は、結紮部位より上の部分の血管の状態は全くわからないので、閉塞箇所は不明であると判断している。

以上のとおり、本件麻痺の原因は、本件結紮術により結紮部位より末梢部位に血栓が発生し、そのため右内頸動脈あるいはその末梢部分が閉塞したことがあるといえるが、閉塞箇所は、内頸動脈の起始部から内頸動脈の頭蓋内腔の前大脳動脈と中大脳動脈の分岐部に近い部分のどこかという程度しかわからないものである。

原告は、この点について、本件麻痺の原因は、本件結紮術によつて生じた血流循還不全による右大脳半球の乏血が原因であると主張し、証人菊池医師の証言中には右事実に副う部分が存在するが、前記認定判断の用に供した各証拠に照らして措信することはできない。

また被告は、この点について、本件麻痺の原因は、中大脳動脈のM1の部位が閉塞しているからであると主張し、証人蝦名医師の前記証言中には、右事実に副う部分が存在するが、前記認定判断の用に供した各証拠に照らし、これも措信することはできず、具体的な閉塞箇所は不明であるというほかない。

2  次に本件失明の原因について検討する。

前記のとおり、本件疾患が外頸動脈海綿静脈洞瘻であること、従つて本件結紮術により本件疾患の原因的治療はなされていないことから考えると、本件失明は、原疾患である外動脈海綿静脈洞瘻の存続によるものであると認められる。

六そこで、被告の債務不履行責任について検討する。

1  まず原告は、被告の治療行為によつて原告に本件麻痺が生じたものであるから、診療契約に基づく被告の診療行為は、債務の本旨に従わない不完全履行に終わつたといわねばならず、債務不履行責任一般と同様に、被告において、本件麻痺等は現代医学の能力を越えた不可抗力によつて生じたものであることを立証しない限り、被告は債務不履行責任を免れることはできないと主張する。

しかしながら、そもそも診療契約は医師の側において、患者に対し、治療という満足のできる結果を常に約束するものではなく、当該疾患に対して善良な管理者としての注意義務に従い、後記のとおり当時の臨床医療水準上適当な医学的処置を加えることを内容とするものであるから、右医学的処置に瑕疵がない限り、満足のできる結果が得られず、また死亡や身体障害等の予期しない結果をみたとしても、それだけでは直ちに診療契約上の注意義務違反(過失)に問われるものではなく、債務不履行責任を主張する原告において、被告ないしその履行補助者の注意義務違反(不完全履行)に該当する具体的事実を主張立証して初めて債務不履行責任に問われるというべきである。

2  そこで、右の観点に立つて原告の主張する被告の履行補助者である蝦名医師または松本医師の注意義務違反(過失)の有無について検討するが、その前提として右注意義務違反の有無の判断基準について検討する。

医師は、人の生命及び健康を管理する医療行為に携わるものであるから、その行為の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を履行することが要求され、医師がこの義務に違反したことにより患者の生命または健康を害する結果を生じたときは、当該医師には法律上の過失(注意義務違反)があるといわねばならない。そして、医療行為は、右医療行為のなされる当時の臨床医学の実践としての医療水準に従つてなされるべきであるから、医師は、その当時における医療水準に従つて医療行為を実施したかどうかによつて、その過失の有無が決定される。

ところで、臨床医学は、日々進歩して止まないものであつて、確固不動のものではなく、常に病理現象及びその治療方法に関する新たな仮説が生成発展するが、このような仮説は、まず医学界に検討課題として提起され、研究、討論の対象とされ、その中で客観的な評価に耐えうる数多くの症例数の累積や追試の成功を経て、学界で一応正当なものと認容されることがまず必要であり、さらに多くの技術や施設の改善、経験的研究の積み重ねにより、臨床専門医の医療水準としてほぼ定着するに至つた段階で初めて、当該医師の行うべき臨床医学の実践としての医療水準に達したことになる。ただし、具体的事案における特定の医師の医療行為に対する注意義務違反(過失)の判断基準としての医療水準は、当該医療行為のなされた時期、当該医師の専門分野、当該医師のおかれた社会的、地理的その他の具体的環境(たとえば、当該医師が医療行為に携わつている場所が、一般開業医院か、総合病院や大学医学部附属病院かといつた点)等諸般の事情を考慮して具体的に判断されなければならない。本件においては、蝦名医師または松本医師は、前記認定したとおり、京都大学医学部附属病院と提携している総合的かつ専門的な医療機関である被告病院において医療行為に携わつている者であるから、その注意義務違反(過失)の有無は大学医学附属病院などの総合的かつ専門的な医療機関において、実践されている本件結紮術当時の医療水準によつて決すべきである。

3  そこで、本件結紮術当時の本件疾患をめぐる医療水準について以下にまとめて検討する。

(一)  まず、本件結紮術当時の頸動脈海綿静脈洞瘻をめぐる医療水準について検討する。

<証拠>及び鑑定人浅野孝雄の鑑定の結果を総合すれば、以下の事実が認められ<る>。

(1) 一九七〇年(昭和四五年)までに、内頸動脈海綿静脈洞瘻についての治療方法として前記四(一)で認定した方法(内頸動脈結紮術など)のいずれかを行うことは、ほぼ確立していた。本件結紮術当時内頸動脈海綿静脈洞瘻と総称されていたものの中に外傷性のもの(外傷性内頸動脈海綿静脈洞瘻)と原因と考えられるものがなく突然に発生するもの(突発性内頸動脈海綿静脈洞瘻)が存在することは既に医療水準上一般的に認識され、蝦名医師自身も右の事実は認識していたが、当時は、大学医学部附属病院などの医療水準上も、両者は単に発生原因による区別がされているだけで、治療方法が別異のものであるべきであるとは考えられていなかつた。

(2) 本件結紮術当時、外頸動脈海綿静脈洞瘻そのものではないが、外頸動脈の分岐が頭蓋内の静脈洞と交通する疾患という意味で外頸動脈海綿静脈洞瘻と類似する疾患があることについては、一九五一年から一〇件程度の症例報告がされ、わが国においても一九六八年に原田論文(左後頭動脈横静脈洞を扱つたもの)が発表された。

(3) 外頸動脈海綿静脈洞瘻そのものについて、一九六七年(昭和四二年)に発表されたミングリノ論文(外頸動脈海綿静脈洞瘻の存在を指摘するとともに、海綿静脈洞への導入血管を確認するために選択的内外頸動脈撮影が不可欠であるとしているが、ただ、単なる一例報告をしたものにすぎず、医学界にそれほどの影響を与えなかつた。)等においても報告されているが、いずれも少数例の報告にとどまつていた。初めて一〇数例の症例を集めて報告し、かつ、いわゆる特発性内頸動脈海綿静脈洞瘻とされてきたものの大部分が、実際は、外頸動脈海綿静脈洞瘻であり、特に外頸動脈海綿静脈洞瘻は半数近くが自然に治癒するので内頸動脈海綿静脈洞瘻とは予後が異なるため、内外頸動脈海綿静脈洞瘻を鑑別する必要があり、そのために脳血管撮影上特別の配慮を要することを指摘した文献は、一九七〇年(昭和四五年)発表(わが国に到着したのは、同年五月ころである。)のニュートン・ホイット論文である。従来は、頸動脈海綿静脈洞瘻という疾患については、現在外頸動脈海綿静脈洞瘻とされるものも区別せずに、全て内頸動脈が海綿静脈洞への導入血管となつたもの、すなわち内頸動脈海綿静脈洞瘻であると、医学界においてすら、少数の先進的脳神経学者を除いて一般的に、考えられていたが、ニュートン・ホイット論文によつて初めて従来内頸動脈海綿静脈洞瘻とされていたものの中に、外頸動脈海綿静脈洞瘻という内頸動脈海綿静脈洞瘻とは別異の疾患が存在し、内頸動脈海綿静脈洞瘻とは予後が異なり、従つて治療法も異なるために、内外頸動脈海綿静脈洞瘻を鑑別することが必要であり、そのためには選択的内外頸動脈撮影を実施することが不可欠であることが明らかにされ、このことがその後次第に医学界に広く認識されるようになつた。

(4) わが国でも、昭和四二年一〇月に半田論文が頸動脈海綿静脈洞瘻の中には、内頸動脈が直接に海綿静脈洞と交通する場合だけでなく他のルートがありうることを指摘したが、初めて外頸動脈海綿静脈洞瘻の存在について報告したのは、一九七一年(昭和四六年)発表の間中論文であり、それも一例報告をしたものにすぎず、続いて数か月遅れて発表された西川論文も一例報告をしているにすぎず、また、これらの論文は、ニュートン・ホイット論文を引用していないから、ニュートン・ホイット論文の存在を知らずに執筆されたものである。その後、一九七四年(昭和四九年)になつてようやくニュートン・ホイット論文の提唱した名称であるDural AVMまたはDural AVF(硬膜動静脈瘻)という診断名での臨床報告が続いてみられるようになつた。

従つて、本件結紮術を実施した一九七一年(昭和四六年)六月二八日当時、わが国の医学界においては、確かに従来内頸動脈海綿静脈洞瘻とされてきたものの中に、外頸動脈海綿静脈洞瘻が存在すること自体を認識するか、または少なくとも頭蓋内静脈洞瘻の中には外頸動脈が静脈洞への導入血管となつているものが存在することを認識し、かつ、そのことから従来内頸動脈海綿静脈洞瘻とされてきたものの中には、外頸動脈が海綿静脈洞と交通しているものが存在する可能性があり、海綿静脈洞と交通している血管を確認するために、選択的内外頸動脈撮影を実施する必要があることを認識していた少数の先進的脳神経学者も存在してはいたが、右のような考え方は決して通説化しておらず、結局、医学会においてすら、頸動脈海綿静脈洞瘻という疾患を、現在外頸動脈海綿静脈洞瘻とされるものも区別せずに、全て内頸動脈が海綿静脈洞への導入血管となつているもの、すなわち内頸動脈海綿静脈洞瘻であると(通説的に)理解し、従つて総頸動脈撮影の結果海綿静脈洞が描出されれば、直ちに内頸動脈海綿静脈洞瘻であると診断を下してよく、それ以上に、総頸動脈撮影の結果を詳しく検討したり、選択的内外頸動脈撮影を実施したりして海綿静脈洞と交通している血管を確認する必要はないと理解し、それが本件結紮術当時の被告病院も含む大学医学部附属病院等の総合的かつ専門的病院の医療水準ともなつていた。また、当時の主要な脳神経外科の教科書には、全く定型的な内頸動脈海綿静脈洞瘻についてしか記述されていなかつた(現に、半田肇著「脳神経外科学」第一版(昭和四五年五月一日発行)では、外頸動脈海綿静脈洞瘻の存在や選択的内外頸動脈撮影の必要性について全く言及していないのに、その改訂第六版(昭和五〇年六月五日発行)では、右の点について言及している。)。

(5) また、本件結紮術当時選択的内頸動脈撮影を実施することは技術的にはそれほど困難ではなかつたが、いくつかの施設で実施されていたにすぎず、特に選択的外頸動脈撮影を実施することの可能な施設は極めて限られていた。しかも、右数少ない選択的外頸動脈撮影の実施可能な施設でも、たとえば、東京大学医学部附属病院や警察病院でも、選択的外頸動脈撮影法としては側頭部において血管を露出させそこにカテーテルを挿入して行う侵襲が非常に大きい観血的撮影法か、または直接頭から針を手さぐりの状態で外頸動脈に挿入して行う非常に危険な方法しか採ることができず、このことから明らかなように、右撮影の成功率は非常に低く、かつ危険性が非常に大きかつた。その後の昭和四七、八年にセルディンガー法(股動脈から非常に長いカテーテルを挿入して外頸動脈を造影する撮影法)が利用されるようになるまで、選択的外頸動脈撮影を安全かつ確実に実施できる方法は存在しなかつた。ミングリノ論文は、前記のとおり、外頸動脈海綿静脈洞瘻の存在を指摘するとともに、海綿静脈洞への導入血管を確認するために選択的内外頸動脈撮影が不可欠であることを指摘しているが、セルディンガー法によつて選択的外頸動脈撮影を実施したのではなく、側頭部においても血管を露出させる前記の侵襲が非常に大きな、成功率の非常に低い方法によつている。また、間中論文は、選択的外頸動脈撮影を実施したことを記述しているが、やはりセルディンガー法によつたわけでなく、それにもかかわらず間中論文が外頸動脈海綿静脈洞瘻の存在のみならず選択的外頸動脈撮影の方法についても指摘しているのは、右論文発表当時選択的外頸動脈撮影が非常に困難であり、右論文が指摘した方法が、学界等においても明らかにしておくべき価値のある新知見であつたからにほかならない。

なお、本件結紮術当時、サブトラクション法もごく限られた施設で実施されていたにすぎなかつた。

(二)  次に、本件結紮術当時の頸動脈海綿静脈洞瘻(本件結紮術当時は、頸動脈海綿静脈洞瘻は、全て内頸動脈海綿静脈洞瘻とされていたことは、前記のとおりである。)に対する内頸動脈結紮術の成功率について検討する。

前記認定事実に、<証拠>を合わせれば、本件結紮術当時の頸動脈海綿静脈洞瘻に対する内頸動脈結紮術の成功率については、文献により一様ではないが、治療法そのものが未確立であり、松本医師は、松本医師自身の臨床経験から、外傷性のものは六〇ないし七〇パーセント、突発性のものは三〇ないし四〇パーセント(必ずしも内頸動脈結紮術のみによつて治癒したもののみならず、内頸動脈結紮術を実施後さらに手術を重ねた結果治癒したものも全て含む。)であると判断し、菊池医師は、外国の文献を総合して、治癒率が四〇ないし五〇パーセント、症状軽快率が六〇ないし七〇パーセント(内頸動脈結紮のみを実施した結果治癒ないし軽快したものに限る。)であると判断していることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。右認定事実によれば、本件結紮術当時の頸動脈海綿静脈洞瘻に対する内頸動脈結紮術の成功率は、数値的には明確ではないが、必ずしも内頸動脈結紮術のみによるものばかりに限らず、内頸動脈結紮術後さらに手術を重ねたことによるものも含め、また必ずしも治癒したもののみならず症状が軽状したものを含めても、必ずしも高いものではなかつたといえる。もつとも証人蝦名医師(第一回)の証言中には、内頸動脈結紮術のみで治癒する率はそれほど高くないが、手術を積み重ねていけば最終的には九〇パーセント以上成功するという部分が存在するが、右部分は前掲各証言に照らし措信することができない。

(三)  本件結紮術当時の頸動脈海綿静脈洞瘻に対して内頸動脈結紮術を実施することにより発生する術後合併症について検討する。

<証拠>によれば、以下の事実が認められる。

(1) 本件結紮術当時、内頸動脈結紮術によつて麻痺等が発生するかどうかを確認するために、同側(患側)総頸動脈を圧迫した状態での反対側(健康)総頸動脈撮影、マタステスト、結紮術を局所麻酔で行い、結紮を行う前に血管鉗子で同側(患側)内頸動脈の血流を遮断し、それによつて意識障害等が発生するかどうかを確認すること、などの方法が実施されていたが、反対側総頸動脈撮影では、同側(患側)大脳半球に反対側(健康)から動脈血が補給されるか(ウィリスのリングが機能するか)どうかを確認できるだけであり(従つて、右確認ができれば、右撮影は一回だけ実施すれば足りる)、補給(機能)の程度もわからず、また右撮影は瞬間的状態を示すだけで、結紮という半永久的な状態の病態を示すものとは異なり、同様にマタステストをいくら長時間実施しても、また結紮術を局所麻酔で行い、結紮を行う前に血管鉗子で同側(患側)内頸動脈の血流を遮断し、それによつて意識障害等が発生するかどうかを確認することを実施しても、やはり結紮という半永久的状態を明らかにするものとは異なるので、右のような方法を実施したうえで内頸動脈結紮術を行つても、それによりその術後合併症として、死亡、片麻痺、失明、発語障害その他各種の脳機能障害が一定の蓋然性をもつて発生することがあり、このことは、本件結紮術当時の医療水準上一般的に認識されていた。(なお、現時点では、マタステストはあまり意味がないものと考えられている。)

(2) 本件結紮術当時頸動脈海綿静脈洞瘻に対し内頸動脈結紮術を実施した結果片麻痺が発生する発生率については、一九六六年(昭和四一年)に米国で発行された「脳神経外科学雑誌」が、米国の殆んどの脳神経外科施設の症例を網羅したうえ、破裂していない脳動脈瘤(一二九例)に対して総頸動脈結紮を実施した結果、脳乏血症状が一二パーセント(一六例)の割合で発生した旨を報告している。浅野医師は、頸動脈海綿静脈洞瘻は脳自体はほぼ健常な状態であるから、右破裂していない脳動脈瘤について得られた一二パーセントという数値が、頸動脈海綿静脈洞瘻に対して内頸動脈結紮術を実施したことによる片麻痺発生率としても妥当するものと考えてよく、頸動脈海綿静脈洞瘻に対して総頸動脈結紮術を行つたブラケットがその論文(一九五三年(昭和二八年)発表)において術後合併症発生率を一四パーセントとしていることからいつても、右一二パーセントという数値が片麻痺発生率としてほぼ妥当なものであると考えられると判断している。菊池医師も、内頸動脈結紮術による死亡ないし片麻痺発生の割合は一〇パーセントないし一〇パーセント弱ぐらいであると判断している。なお、右各場合の片麻痺発生の危険率は、その発生原因を問わず、中大脳動脈が栓塞したものも一括して統一的に理解されていた。

右認定事実によれば、浅野医師の右判断は、その判断過程において合理性を欠くところもなく、菊池医師も浅野医師の判断にほぼ副う判断をしていることからいつても、妥当であると考えられる。従つて、本件結紮術当時頸動脈海綿静脈洞瘻に対し内頸動脈結紮術を実施した結果、片麻痺の発生する発生率は約一二パーセント程度であつたとみてよい。また、証人浅野孝雄の証言によれば、前記「脳神経外科学雑誌」の報告は、わが国においても脳神経外科医であれば、当然知つていなければならないものであると認められる。しかしながら、前掲各証拠によれば、本件結紮術当時頸動脈海綿静脈洞瘻に対し内頸動脈結紮術を実施した結果発生する片麻痺等の発生率について報告した論文には、その発生率を二パーセントとするものや、五パーセントとするものもあり、一様ではないと認められること、また右「脳神経外科学雑誌」の報告が頸動脈海綿静脈洞瘻そのものについての報告であることを考えると、右約一二パーセント程度という数値は、本件結紮術当時片麻痺発生率に関して臨床専門医一般の医学水準として確立していなかつたことはもちろん、大学医学部附属病院などの総合的かつ専門的病院の医療水準としても確立するまではいたつていなかつたと考えられる。証人蝦名医師(第一、二回)の証言によると、前にもみたとおり、蝦名医師は、右片麻痺発生率を二パーセントと判断し、また蝦名医師の直接認識した範囲では術後合併症が発生している場合のなかつたことから、本件結紮術による片麻痺発生の危険性をそれほど重視していなかつたと認められるが、右証言及び証人浅野孝雄の証言によれば、片麻痺発生率として蝦名医師の考える右二パーセントという数値に副う数値を示した論文(ホーヴィツ著「眼外科における術後合併症」)もあることが認められ、蝦名医師が本件結紮術実施にあたり片麻痺発生の危険性をそれほど重視していなかつたことをもつて、当時の医療水準に反したものとまで評価し、非難することはできないというべきである。

(四)  本件結紮術当時の頸動脈海綿静脈洞を放置した場合の予後についての認識について検討する。

<証拠>を総合すれば、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

本件結紮術当時、頸動脈海綿静脈洞瘻を放置した場合の予後として死亡、失明、視力障害、眼球突出、眼瞼浮腫、血管雑音の増悪等の症状が生じることがあり、他方放置した場合に必ずしも症状が増悪するものばかりとは限らず、そのままの状態を保ち増悪しないものや自然治癒するものもあることが医療水準上一般的に認識されていた。

頸動脈海綿静脈洞瘻を放置した症例の報告は非常に少ないうえ、放置した場合について報告した論文によつて必ずしも一様ではないが、一般的には、そのうち死亡が数パーセント、失明が二〇ないし二五パーセント、失明以外の強度の視力障害が二〇ないし二五パーセント(従つて、約半数に強度の視力障害が発生する。)、自然治癒するものが数パーセントから一〇パーセント程度であるとされており、また眼球突出も増悪するときわめてグロテスクになり、外見上見苦しく患者に非常に大きな精神的苦痛を与えたり、血管雑音が増悪し、患者を精神的に消耗させる可能性が大きいことが知られていた。なお、以上の予後との関連(特に手術せずに放置していると患者がその症状に耐えきれなくなることが多い点)において、頸動脈海綿静脈洞瘻の場合に自然治癒を期待して放置観察することはほとんど行われておらず、原則的には外科的治療(手術)が実施されていた。

4  以下、右各認定した医療水準に基づいて蝦名医師及び松本医師の注意義務違反(過失)の有無について検討する。

(一)  まず、原告は、本件結紮術当時の医学水準からしても、蝦名医師において外頸動脈海綿静脈洞瘻の存在を十分に認識できたといえ、また一般的な医学水準は別としても、京都大学医学部の実質的附属病院という性格を有し、かつ大阪地方においては脳神経外科として最高の権威を有している被告病院に所属する医師である蝦名医師にとつては、外頸動脈海綿静脈洞瘻の存在を十分に認識できたといえるし、もし仮に本件結紮術当時蝦名医師が外頸動脈海綿静脈洞瘻の存在自体を認識していなかつたことが当時の医学水準からはやむを得ないとしても、本件結紮術当時、既に少例ではあるが外頸動脈と頭蓋内静脈洞との間に異常交通が生じている場合があつて、頸動脈海綿静脈洞瘻に対しては、内頸動脈だけでなく外頸動脈もまた海綿静脈洞への導入血管となる場合のあることが一般的に認識されており、従つて、頸動脈海綿静脈洞瘻の外科的治療を実施するためには、総頸動脈撮影のみならず選択的内外頸動脈撮影を実施してその血行路を事前に十分に把握しなければならないことは容易に認識しえたものであり、まして、本件疾患は頸動脈海綿静脈洞瘻の中では比較的軽症であつて、充分に時間をかけて症状を観察しうることはもちろん、手術を実施するかどうかを決定するにあたり松本医師の指導を受けるほか頸動脈海綿静脈洞瘻に関する内外の文献を克明に調査研究することが可能であり、右指導を受けたり調査研究することによつて右認識を得ることはますます容易であつたのであるから、本件結紮術を実施するにあたつては、事前に選択的内外頸動脈撮影を行い、右撮影結果により海綿静脈洞への導入血管を把握すべき注意義務があつたのにもかかわらず、蝦名医師は、その注意義務を尽くさず、本件結紮術実施にあたつて事前に選択的内外頸動脈撮影を行わず、総頸動脈撮影の結果海綿静脈洞が描出されたことから直ちに内頸動脈海綿静脈洞瘻と即断し、本件結紮術(内頸動脈結紮術)を実施し、それにより本件麻痺を生じさせた過失があると主張する。

なるほど、前記認定したとおり、蝦名医師が、昭和四六年五月三一日、右側総頸動脈撮影を実施し、その結果海綿静脈洞が描出されたことから、住友病院で下された右内頸動脈海綿静脈洞瘻であるとの診断が正しいものと判断し、それ以上に選択的内外頸動脈撮影を実施しなかつたこと、もし蝦名医師が、本件結紮術を実施するにあたつて選択的内外頸動脈撮影を実施してさえいれば、本件疾患は、外頸動脈が海綿静脈洞への唯一あるいは少なくとも主たる導入血管であり、内頸動脈は導入血管でないか、あるいは少なくとも主たる導入血管でないことが判明したはずであることは認められる。

そして、前記認定したとおり、本件結紮術当時、従来内頸動脈海綿静脈洞瘻とされてきたものの中に、外頸動脈海綿静脈洞瘻が存在すること自体を認識するか、または少なくとも頭蓋内静脈洞瘻の中には外頸動脈が静脈洞への導入血管となつているものが存在することを認識し、そのことから従来内頸動脈海綿静脈洞瘻とされてきたものの中には、外頸動脈が海綿静脈洞と交通しているものが存在する可能性があることを認識し、海綿静脈洞と交通している血管を確認するために、選択的内外頸動脈撮影を実施する必要があることを認識することが、全く不可能であつたとはいえず、現に日本の先進的脳神経外科学者の中には、選択的内外頸動脈撮影の必要性を認識していた者が少数ながら存在していたとはいえるが、それだからといつて、頸動脈海綿静脈洞瘻について選択的内外頸動脈撮影を実施する必要のあることが大学医学部附属病院のような総合的かつ専門的な医療機関の医療水準に達していたとまではいえず、まして、前記認定のとおり本件結紮術当時選択的内頸動脈撮影を実施することは技術的にはそれほど困難ではなかつたものの、いくつかの施設で実施されていたにすぎず、特に選択的外頸動脈撮影を実施することができる施設は、ごく少数に限られており、しかもその少数の施設でも、右撮影の成功率は非常に低くしかも危険性が非常に大きかつたのであるから、蝦名医師が、京都大学医学部の実質的附属病院という性格を有し、かつ大阪地方においては脳神経外科として最高の権威を有している被告病院に所属する医師であつたことを考慮しても、蝦名医師が、総頸動脈撮影実施の結果海綿静脈洞が描出されたことから、住友病院で下された右内頸動脈海綿静脈洞瘻であるという診断が正しいものと判断し、それ以上に選択的内外頸動脈撮影を実施しなかつたことをもつて、注意義務に違反したものということはできない。従つて、原告の右主張は失当である。

(二)  また原告は、同じく右の点に関して、頸動脈海綿静脈洞瘻であるといつても、血行路は種々であるから蝦名医師は、本件結紮術を実施するにあたり、総頸動脈撮影の結果から血流状態を十分に把握すべき注意義務があり、本件疾患の場合は、選択的内外頸動脈撮影を実施しなくとも、昭和四六年五月三一日実施の右側総頸動脈撮影の結果から外頸動脈が海綿静脈洞への導入血管であることが読み取れたはずであり、また昭和四六年六月二二日実施の左側総頸動脈撮影で海綿静脈洞が描出されなかつたことは蝦名医師自身も認識していたのであるから、左右の総頸動脈撮影の結果を合わせて、本件疾患が内頸動脈海綿静脈洞瘻でないことを発見しえたはずであるのに、右注意義務を怠り、総頸動脈撮影の結果から血流動態を十分に把握しなかつたために、本件疾患について内頸動脈が導入血管となつているもの、すなわち内頸動脈海綿静脈洞瘻であると誤診し、内頸動脈結紮術を実施し、それにより本件麻痺を生じさせた過失があると主張する。

なるほど、前記認定したとおり、蝦名医師は、昭和四六年五月三一日実施の右側総頸動脈撮影の結果海綿静脈洞が描出されたことから、前記住友病院で下された右内頸動脈海綿静脈洞瘻という診断が正しいものと判断し、それ以上左右の総頸動脈撮影の結果について詳細に検討して海綿静脈洞と交通している血管を確認することは行つておらず、また証人浅野医師の証言によれば、本件結紮術当時も昭和四六年五月三一日実施の右側総頸動脈撮影の結果からは海綿静脈洞への造影剤の流入は外頸動脈分枝が描出された後に生じていること、また昭和四六年六月二二日実施の左側総頸動脈撮影の結果からは、右側総頸動脈に圧迫を加えた状態で左側総頸動脈を撮影しても、造影剤が前交通動脈を通じて海綿静脈洞へ流入するのが認められないこと(前掲乙第一号証のA、Bによれば、蝦名医師自身も、本件結紮術当時昭和四六年六月二二日実施の左側総頸動脈撮影の結果、右側総頸動脈に圧迫を加えた状態で左側総頸動脈を撮影しても、造影剤が前交通動脈を通じて海綿静脈洞へ流出するのが認められないことは認識していたことが、明らかである。)を、蝦名医師においてそれぞれ認識すること自体は技術的に不可能ではないとの事実が認められ、これらの事実から、本件疾患は、外頸動脈が海綿静脈洞への主要な導入血管であること、あるいは少なくとも外頸動脈も導入血管となつてくることを、蝦名医師において認識すること自体が全く不可能というものではないとまでは認めることができる。

しかしながら、前記認定したとおり、本件結紮術当時は、わが国の医学界においてすら、一般的には、頸動脈海綿静脈洞瘻という疾患については、現在は外頸動脈海綿静脈洞瘻とされるものも区別することなく、全て、内頸動脈が海綿静脈洞への導入血管となつているもの、すなわち内頸動脈海綿静脈洞瘻であると理解しており、従つて、総頸動脈撮影の結果海綿静脈洞が描出されれば、直ちに内頸動脈海綿静脈洞瘻であると診断を下してよく、右撮影の結果について、それ以上検討する必要性がないというのが、本件結紮術当時の大学医学部附属病院などの総合的かつ専門的な医療機関の医療水準であつたのであるから、蝦名医師が、大阪地方における京都大学医学部附属病院の実質をもつ最高の脳神経外科施設である被告病院に所属する医師であつたことを考慮しても、蝦名医師が、総頸動脈撮影の結果海綿静脈洞が描出されたことから、住友病院で下された右内頸動脈海綿静脈洞瘻であるという診断が正しいものと判断し、それ以上に左右の総頸動脈撮影の結果について詳細に検討して海綿静脈洞と交通している血管を確認することを行わなかつたことをもつて、注意義務に違反したものということはできない。従つて、原告の右主張も失当である(なお、証人蝦名一夫の第一回証言中には、本件結紮術当時、蝦名医師が、頸動脈海綿静脈洞瘻について、外頸動脈が部分的に関与している場合が存在していることを認識していたかのように解せなくもない供述部分があるが、右証人は、その第二回の証言で、本件結紮術当時は、頸動脈海綿静脈洞瘻は全て内頸動脈が海綿静脈洞瘻への導入血管となつていると理解しており、外頸動脈が部分的にも関与していることがあることは認識していなかつた旨、前記供述部分を訂正しており、これによれば、蝦名医師は、本件結紮術当時頸動脈海綿静脈洞瘻について、外頸動脈が部分的にも関与していることがあることは認識していなかつたとみられる。)。

(三)  原告は同じく、右の点に関し、松本医師は、被告病院の脳神経外科部長として蝦名医師を指導監督して医療過誤なからしめる注意義務があり、かつ、仮に蝦名医師が前記左右の総頸動脈撮影の結果の正確な判読ができなかつたとしても、経験と学識が豊富な松本医師なら右判読が可能であり、松本医師が自ら判読していさえすれば、その結果本件疾患が内頸動脈海綿静脈洞瘻でないことを発見しえたのにもかかわらず、右指導監督義務を怠り、蝦名医師に右撮影結果の判読を一任し、松本医師自らは右判断をしようとしなかつた過失があると主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、蝦名医師は、本件結紮術を実施するかどうかは、松本医師その他被告病院脳神経外科所属医師と協議のうえ決定したものであり、かつ証人蝦名一夫(第一回)、同松本悟の証言によれば、手術するか否かを最終的に決定するのは、脳神経外科部長である松本医師であると認められ、これら事実から、松本医師は左右の総頸動脈撮影の結果について自らも判読したものと認めることができるので、原告の右主張はその前提を欠き失当である。また、前記のとおり、被告病院のごとく総合的かつ専門的な病院の医療水準からみても、総頸動脈撮影の結果から海綿静脈洞が描出されれば、直ちに内頸動脈海綿静脈洞瘻であると診断を下してよく、右撮影の結果についてそれ以上に検討するまでの必要はなかつたのであるから、総頸動脈撮影の結果から海綿静脈洞が描出されるかどうかにとどまらず、海綿静脈洞への導入血管を確認する義務まで松本医師に課すことはできず、この意味でも原告の主張は失当である。もつとも、証人松本悟は、その証言において、松本医師自身は、本件結紮術当時主たる導入血管は内頸動脈であるとしても、外頸動脈が海綿静脈洞と交通していることがあることから、外頸動脈を総頸動脈または内頸動脈と合わせて結紮することがあり、本件疾患の場合も、まず内頸動脈を結紮して症状が好転しない場合にはその対応策として外頸動脈の結紮を実施することも考えており、かつ自らは本件結紮術実施の以前に外頸動脈だけを結紮したことはないものの、理論的には詳しい脳血管撮影の結果外頸動脈だけが関与していることが明確になれば外頸動脈だけを結紮してよい可能性が存在することは認識していた旨の供述をしている。右証言は、本件結紮術実施時から六年以上経過した後のものであるので、はたして本件結紮術当時の松本医師の知識をそのまま示したものか、あるいは、松本医師が本件結紮術実施以後に習得した知識と本件結紮術当時の知識を混同して述べたものか、断定しがたいところがあるが、仮に松本医師の証言どおりとすると、松本医師は、本件結紮術当時、そのころにおける医療水準より一歩進んだ知識を有し、内頸動脈海綿静脈洞瘻の中には外頸動脈が海綿静脈洞と交通しているものが存在することを認識していたことになる。当時の医療水準より高度の知識や能力を有していた者に対しては、その者の知識や能力を基準にして注意義務違反(過失)の有無を判断すべきものと考える余地が確かにあるが、右松本医師の証言も、総頸動脈撮影が実施された結果海綿静脈洞が描出された場合に、右撮影の結果をそれ以上に検討して海綿静脈洞と交通している血管を確認しなければならないとまで認識していたというものではないから、右松本医師の知識、能力を基準にしてもなお、松本医師に注意義務違反(過失)を認めるまでにはいたらない。

(四)  原告は、本件疾患は比軽的軽症であり、緊急に手術を実施する必要は存在しなかつたし、本件結紮術は成功する確率がそれほど高度でなく、かつ術後に片麻痺等の合併症が発生する可能性が相当高度にあつたのであるから、蝦名医師は、一定期間本件疾患を放置し、その経過を観察し、その期間中において症状の増悪可能性を見きわめ、かつその期間中最低数回以上反対側(健側)の総頸動脈撮影を実施し、手術適応性について充分検討したうえで、その症状の程度との関連で本件結紮術を実施するかどうかを決定すべき注意義務があつたのにもかかわらず、右注意義務を怠り、本件疾患を経過して観察することを行わず、かつきわめて不十分な反対側(健側)の総頸動脈撮影の結果から手術適応と判断して本件結紮術を実施した過失があると主張する。

なるほど、前記認定のとおり、本件結紮術直前の本件疾患の症状は、右眼球突出(昭和四六年五月二九日の検査結果によれば、右眼が七ミリメートルだけ突出していた。)、眼瞼浮腫、乳頭充血、静脈怒張のみであり、血管雑音も存在せず、比較的軽症であるといえ、また本件疾患の症状が急速に増悪する徴候は存在せず、緊急に手術を実施する必要はなく、本件結紮術当時の内頸動脈結紮術の成功率も必ずしも高いものではなく、内頸動脈結紮術を実施した結果、死亡、片麻痺、失明や発語障害その他各種の脳機能障害が一定の蓋然性をもつて発生することが一般的に認識され、特に片麻痺発生の蓋然性(発生率)が(この点は当時の一般的な認識になつていたとはいえないものの)客観的には約一二パーセント程度あつたのである。

しかしながら、前記認定のとおり、本件結紮術当時頸動脈海綿静脈洞瘻(本件結紮術当時は全て内頸動脈海綿静脈洞瘻とされていた。)を放置した場合の予後として、死亡、失明、視力障害、眼球突出、眼瞼浮腫、血管雑音の増悪の症状が生じることが知られており、一般的にはそのうち死亡が数パーセント、失明が二〇ないし二五パーセント、失明以外の強度の視力障害が二〇ないし二五パーセント(従つて、約半数に強度の視力障害が発生する。)発生すると考えられ、また眼球突出も増悪するときわめてグロテスクになり、外見上見苦しく患者に甚大な精神的苦痛を与えたり、血管雑音が増悪し、患者を精神的に消耗させる可能性のあることが知られており、他方、自然治癒する率は数パーセントないし一〇パーセント程度であるにすぎなかつたから、頸動脈海綿静脈洞瘻の場合に自然治癒を期待して放置観察することは臨床的にほとんど行われておらず、原則的には手術が実施されていたものであり、特に本件疾患の場合は、既に住友病院眼科で一年間経過観察期間を置き、その間一度症状が軽快したものが再燃したものであり、また証人菊池晴彦、同浅野孝雄の各証言によつて、菊池医師や浅野医師も、少なくとも本件結紮術当時の医療水準からすれば、蝦名医師が、本件疾患の場合一定期間放置してその経過を観察することなく、本件結紮術を実施したことは妥当でないとはいえないと判断していることが認められ、以上の各事実をもとに判断すると、本件結紮術当時の医療水準からすれば、蝦名医師が、松本医師その他被告病院脳神経外科所属医師らと協議のうえ、左側総頸動脈撮影の結果患側(右側)大脳半球に健側(左側)から血液が供給されることが判明したことや、マタステストを繰り返しても著変がなかつたこと、本件結紮術当時内頸動脈海綿静脈洞瘻は外科的処置を行うことが原則であり、時に本件疾患の場合は、既に住友病院眼科で一定期間経過観察期間を置き、その間一度症状が軽快したものが再燃したものであること、また内頸動脈海綿静脈洞瘻を放置した場合最悪は死亡することもあり、また眼球突出が増悪して外見上見苦しく患者に甚大な精神的苦痛を与える可能性や血管雑音が増悪し患者を精神的に消耗させる可能性が大きく、特に原告が未婚の女性であるので、眼球突出が増悪して外見上見苦しくなる可能性が大きいこと、などの事情を考慮して、本件疾患につき一定期間放置してその経過を観察することなく、本件結紮術を実施したことは妥当でないとはいえず、これを注意義務に違反したものとみることはできないものというべきである。

もつとも、前記認定のとおり現時点の医療水準からすれば、本件疾患は、内頸動脈海綿静脈洞瘻ではなく外頸動脈海綿静脈洞瘻であり、その治療法は第一次的には自然治癒を期待して経過観察を行うべきであるとされており、この点現時点の医療水準からすれば、蝦名医師の措置は妥当を欠くというべきであるが、既にみたとおり、本件結紮術当時の医療水準からすれば、蝦名医師が、本件疾患は内頸動脈海綿静脈洞瘻であると判断したことに注意義務違反を問えない以上、蝦名医師が右措置をとつたことをもつて注意義務違反と評価することはできない。

なお、前記認定のように、反対側(健側)総頸動脈撮影によつては、同側(患側)大脳半球に、反対側(健側)から動脈血が補給されるか(ウィリスのリングが機能するか)どうかを確認できるだけであり、右確認ができれば、右撮影は一回だけ実施すれば足りるものであるから、蝦名医師が、昭和四六年六月二二日実施の左側(反対側、健側)総頸動脈撮影の結果、各側(同側、患側)大脳半球に左側(反対側、健側)から動脈血が補給されることを確認できたため、それ以上に左側(反対側、健側)総頸動脈撮影を実施しなかつたことはむしろ当然であつて、何ら注意義務違反に問われることはない。

(五)  原告は、本件症状は比較的軽症であつて、急激に症状が悪化するおそれがあるため緊急に対処する必要性が認められるような事情が全く存在せず、かつ本件結紮術は片麻痺が発生するなどの相当高度の危険性を伴うのであるから、蝦名医師としては、本件結紮術実施するにあたり、原告に対し、本件結紮術の危険性について、原告が右説明を受けて本件結紮術を受けるかどうかを決定しうる程度に十分な説明を行い、原告の承諾を得たうえで本件結紮術を実施すべき注意義務を負つていたにもかかわらず、蝦名医師は、原告に対し、手術は心配ない旨の説明を行つただけで、脳血管撮影、マタステストを十分に行つても、本件結紮術によつて片麻痺の起こることがあることについて何らの説明を行わず、原告に本件結紮術を受けるかどうかについて決定する機会を与えなかつた過失があると主張する。

(1)  医師が、患者に対し、手術等の医的侵襲を加え、そのため一定の蓋然性をもつて生命身体等に重大な結果を招くことが予測される場合には、その重大な結果を甘受しなければならない患者自身に手術を受けるか否かについて最終的決定をさせるべきであるから、医師は、説明義務を免除される特別の事情のない限り、当該患者に対し、右医的侵襲を加えることによつて予想される結果(危険)について説明し、そのうえで手術の承諾を得る義務があるものと解するのが相当である。

ただし、医療行為は相当高度の医学的判断に基づく医師の裁量行為であるから、右説明義務の履行についても医師の裁量を認めるべきであり、合理的な裁量の範囲を逸脱しない限り、医師は説明義務違反に問われるものではないと解すべきである。

(2)  これを本件についてみると、前記認定のとおり、本件結紮術当時既に、頸動脈海綿静脈洞瘻に対し、反対側(健側)総頸動脈撮影、マタステスト(現在ではあまり意味がないとされている。)で片麻痺発生の危険性がないかどうかを確認し、結紮術を局所麻痺で行い、結紮を行う前に血管鉗子で同側(患側)内頸動脈の血流を遮断し、それによつて意識障害などが発生するかを確認したうえで、内頸動脈結紮術を実施してもなお、右結紮術実施の結果一定の蓋然性をもつて片麻痺が発生することが予想できたのであるから、特に説明義務を免除される特別の事情のない本件においては、蝦名医師は、本件結紮術を実施するにあたり、原告に対し、本件結紮術を実施した結果片麻痺の発生する可能性のあることを説明したうえで、原告から手術の承諾を得る義務を負うものといえなければならない。しかし、片麻痺の発生率は、元来統計上のものであるから、必ずしも当該患者にとつての具体的危険性を示しているとはいえないし、まして、前記認定のとおり、本件結紮術当時の片麻痺発生率として、客観的には一二パーセントという数値が一応妥当なものであつたとはいえるものの、右片麻痺発生率が大学医学部附属病院などの総合的かつ専門的病院の医療水準として確立したものとして認識、理解されていた数値であるとはとうていいえないのであるから、蝦名医師が、原告に対し、特定かつ具体的な数値をもつて片麻痺発生の蓋然性(発生率)を説明しなかつたとしても、その合理的裁量の範囲を逸脱し、説明義務に違反したものとまでいうことはできないものと解すべきである。本件においては、前記のとおり、蝦名医師は、本件結紮術を実施するにあたり、原告に対し、片麻痺の発生率は説明しなかつたものの、反対側総頸動脈撮影、マタステストで片麻痺発生の危険性がないかどうかを確認し、かつ結紮術を局所麻酔で行い、結紮を行う前に血管鉗子で内側内頸動脈の血流を遮断し、それによつて意識障害などが発生するかどうかを確認したうえで、本件結紮術を実施してもなお片麻痺が発生する可能性のあること自体は説明したと認められるのであるから、蝦名医師に説明義務違反はないと解すべきである。もつとも、前記のとおり、蝦名医師は、右危険性のあることは説明しながら、他方では本件結紮術は一応心配はないという程度の説明を行つていると認められるところ、本件結紮術当時の内頸動脈結紮術による片麻痺発生率としては約一二パーセント程度と理解するのが一応妥当であると考えられることからいえば、蝦名医師が右のような説明をしたのは妥当を欠くところがあつたといえなくはない。しかし、前記認定のとおり、内頸動脈結紮術による片麻痺発生率が約一二パーセント程度であるということが、本件結紮術当時大学医学部附属病院などの総合的かつ専門的病院におけるその医療水準上確立した認識、理解であつたとまではいえず、蝦名医師が文献を根拠に片麻痺発生率が二パーセントであると考え、また蝦名医師の直接認識した限りでは術後合併症の発生している場合のなかつたことから、本件結紮術による片麻痺発生の危険性をそれほど重視していなかつたことをもつて、右医療水準から逸脱したものとして評価し、非難することまではできないのであるから、蝦名医師が右のような理由から本件結紮術実施による片麻痺発生の危険性をそれほど重視せず、原告に対し、一方では本件結紮術実施の結果片麻痺発生の危険性があることは説明しながら、他方では本件結紮術を一応心配はないという程度の説明を行つていることも、妥当を欠くところがあるというにとどまり、未だ前記合理的裁量の範囲を逸脱し、説明義務に違反したものと断定するには十分でないというべきである。従つて、原告の右主張も失当である。

(六)  そうすると、蝦名医師及び松本医師には、原告の主張するいずれの注意義務違反(過失)も認めるにいたらず、従つて、蝦名医師ないし松本医師が被告の債務の履行補助者として不完全な履行をなした旨の原告の主張はいずれも理由がないというほかない。

七結論

以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく原告の本訴請求は理由がないので、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官岨野悌介 裁判官中村也寸志 裁判官本間榮一は、転補のため署名押印することができない。裁判官岨野悌介)

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